■パントマイムの歴史 - 1

・パントマイムの黎明期

パントマイムの歴史は、ギリシャ・ローマ時代に始まると言われています。日本の縄文時代の頃ですね。
(※ギリシャ・ローマ以外の地域でもおそらくパントマイム的な演芸は行われていたと考えられます。ただ、資料が見つからないため、ここでは触れません。このページの「パントマイム」は西洋のそれを中心に説明します。)

ギリシャ・ローマ時代のパントマイムは、演芸の出し物の一つとして始まったようです。パントマイムは単独で演じられたわけではなく、他の歌舞音曲の中の一つの演目として演じられました。
そういう見せ物小屋的な公演から、パントマイムはしだいに公的なフェスティバルでも演じられるようになっていきます。

ギリシャ・ローマ時代のパントマイムでは、現代のパントマイムとは異なり、仮面を着けてナレーションや音楽に合わせて演じることが多かったようです。ただし、時代が進むに連れて、仮面を着けなくなったり、一人で複数のキャラクターを演じ分けるといったことが行われるようになりました。


・コメディア・デラルテ

しかし、ローマ帝国の衰退とともにパントマイムは歴史の陰に沈んでいきました。
おそらくは大道芸や旅芸人の芸として受け継がれていったと考えられていますが、歴史書などにパントマイムの目立った記録はあまりないようです。

マイムが再び歴史の記録に現れ出すのは、中世は16世紀頃になります(ちなみに、日本では14-15世紀に能楽が盛り上がりだします。観阿弥、世阿弥が登場して能楽が完成したとされるのが、室町時代の頃です)。
この時期にヨーロッパをにぎわした旅芸人一座にコメディア・デラルテ(Commedia dell'Arte)があります。ヨーロッパ全土で活躍したイタリアの道化芝居の一座です。

コメディア・デラルテの特徴として、

・・・などを挙げることができます。
基本的にセリフ劇なのですがヨーロッパ内の言葉の壁を乗り越えるため、パントマイム的な動きをふんだんに使っていました。

コメディア・デラルテの影響はたいへん大きなものでした。特にフランスではその影響が大きく、「イタリア座」という劇場まで設立されました。道化芝居はフランス文化に完全に定着し、当時の文学や絵画にも登場しています。また、サーカスでおなじみの「ピエロ」に代表される道化(クラウン)も、元をただせばコメディア・デラルテから生まれたキャラクターです。

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